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偏差値50以下からの早稲田大学受験体験記

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早稲田大学入学式

 

201⚪︎年春、早稲田大学の入学の門出。

私は意気揚々と早稲田の地を闊歩していた。

 

まずは私の小学生時代に遡る

 

私の小学生時代はそれはそれは人生で一番楽しかった時期であった。地元の少年野球クラブではエースで4番。怖いもの知らずで調子に乗りまくっていた。学校の成績は◎、◯、△で付けられており、◎→0個。◯→3個。△18個の成績を叩き出すほどの問題児であった。

 

クラスで山へ社会活動として行った時には、友達を引き連れ行けるとこまで行き、引き返した時には日が暮れていたり、女子が我々の所有物と化していた遊具を使ったことでクラス問題に発展し、それを先生が冗談半分で取り上げたことで許せんと筆箱を先生に向かってぶん投げたりした。

 

しょうもないことだが、我々にとっては大問題だった。授業中抜け出して仲間と当てもなく歩いたりもした。今思えば、スタンド・バイミー感がして良い思い出だ。今思い返してみると、当時の自分が今の自分と違い過ぎてよく分からない。

 

変わらないのは、自分の信念は大切にするということと、今は亡き愛犬への愛だけだ。このようなわけで、担任の先生にはこのまま行くと、中卒だと言われた。

 

 

中学時代の話をしよう

中学には野球部がなかったので、これまた地元の野球チームに入った。全国大会へも出場した。それはさておき、中学に入ると、授業に真面目になった。授業中しゃべるなんてとんでもない。

 

喋っている生徒がいると、黙れと注意する側だった。挙手をしない生徒には手をあげろと注意する側だった。私は根本的に真面目な人間だったのだ。成績はクラスで、7か8番目だった。1学年38人しかいないど田舎の公立中学だったが、意外と私のクラスは頭がいいやつが多かった。(進学した大学は、京大、阪大、早稲田、同志社金沢大学静岡大学など、なかなかすごい)中学の成績は45中の36だった。

 

なんとも普通だ。高校進学の期間に入り、私は、中学の段階で私より頭のいいやつを抜かすには、高校時代で挽回するしかないと考え、私立のよくある勉強するコースに入った。そこ一本で入ったため、授業料は全額免除だった。素晴らしい環境でいっぱい勉強していい大学に入るためだけに入学した・・

 

高校時代は。

 

・・・はずだった。しかし、よくある話で、その高校のアピールしていることはやはり、外にいる人間にとってはよく見え、中に入ってみると、大したことはないパターンである。私は失望した。毎日同じ仲間と毎日同じ日々が繰り返される。

 

本当に毎日同じ日々が繰り返される。本当に毎日・・・私の感情は消えた。感情の浮き沈みが皆無だった。そして全く勉強をしなくなった。期末テストでさえ、一、二科目勉強してそれ以外はノー勉だった。今思えば、一夜漬けでもしていればよかったと思う。

 

そうすれば、第1種奨学金を借りられたのに、と。そして高校3年生4月。私は早々と浪人することを決定した。こんなところでは、絶対いい大学には入れない。そう思ったからだ。そして、受験。私は受験を拒否したが、無理やり受けさせられた。もちろん、ひとつも受からなかった。

 

しかし、そんな高校時代でもよかったことが3つある。1つは小説を読める人間になったことだ。私はそれまで、本一冊読むことすらできない人間だったが、高校1年の終わりか忘れたが、小説がクラスで流行った。国語の先生の影響だった。みんな果敢に夏目漱石やら、太宰治やら三島由紀夫やらを読んだ。それで人生の進路を変えさせられた仲間が何人もいた。2つ目は仲間だ。今でも頻繁に付き合う大切な仲間だ。

 

3つ目は浪人したことだ。おそらく別の進学校へ行っていたら、中途半端に大学を決めていただろう。よく分からない公立大学に行っていた気がする。 

 

浪人時代

さて、ここからが本題の浪人時代だ。我が第二の母校。河合塾。正直最高の環境だった。4月から6月までの授業期間中は朝5時に起きて、23時に寝る。その間はほとんど勉強していた。河合塾は講師陣の質がとてもよかった。熱血の英語長文の講師。ぱっとみおっさんだが、半端なくわかりやすい英文法の講師。

 

この英文法のおっさのおかげで英文法が得意になった。ハゲデブチビメガネのおっさん日本史講師。見た目はあれだが、めちゃくちゃわかりやすい。このおっさんのおかげで日本史の偏差値が75まであがり、長谷川等伯の猿侯捉月図を観に行くくらい日本史が好きになった。(これから、いろいろと旅をしたい。)現代文、古文、漢文の講師は普通のありきたりな優秀講師だった。

 

河合の模試で英語の偏差値は67,国語の偏差値は62,日本史の偏差値は75だった。高校時代は河合模試で55もいけばいい方だった。日本史は30台だったので、三教科の偏差値は50を切っていた。

 

ちなみに、私はこの時マッスル北村を尊敬し始めていた。↓

kennkoudaiichi.hatenablog.com

 

勉強法として

 

まず、英語の勉強法から。英単語帳はターゲット1900。ボロボロになるくらいやった。

覚え方としては、最初は1日20単語ずつ追加してやる。次の日は前日の20語と今日の文の20語足して40語という感じでやっていった。それを3週くらいすると、4週目は1日100語ずつというように繰り返していく。

 

最終的には、30分ほどで一周が終わる。どうしても覚えきらない単語には付箋を貼って、そこだけ繰り返した。100%覚えたであろう単語のページは破り捨てた。右ページのセンテンスは要らない。英語は単語が命なので、受験当日まで、しっかりと行う。

 

英文法は、申し訳ないが河合塾に入ってほしい。角刈りのおっさんであれば、そいつが私の師匠だ。英作文は苦手だった。他をあたってほしい。英語長文はs.v.o.cの文型は100%覚える。正直、日本語でもよく分からないテーマは英語がわかっていても解けない。頑張れ。あと問題文より問いを重視して問題に当たるべし。

 

問いを読んでから、問題文を当たれ。基本的にセンターとかだと、段落ひとつごとに一問という感じでだったので、一問読んで、ひと段落読むという感じだ。最後の問題はまとめとかだったと思うので、全体の流れを意識することは忘れないように。それでセンターの対策をしっかりやれば、センター英語なら180点は取れる。私は私立文系だったので、センターは関係なく、まったく対策しなかったため176点しか取れなかった。リスニングは頭を柔らかくしてやる。そうすれば40点くらいとれる。

 

現代文の勉強法は小説を趣味にすること。正直、私は頭の回転が遅い。早く読むことができない。しかし、時間がある試験であれば8割取れた。センターでは96点だった。なぜならば、センター利用で現代文しか必要なかったため、古文、漢文は解いてないからだ。それと、記号を駆使して、問題文に当たること。

 

文頭、文末、言い換えに注意して、集中して解こう。古文、漢文は基本を暗記すること。そして、頭を柔らかくして、全体を俯瞰することだ。これは小説など文章をたくさん読んでると自然と身につく。先ほど、古文、漢文のセンターは解いていないといったが、実は古文、漢文は得意だった。基本を覚えればあとは読解力でなんとかなる。この読解力は頭を柔らかくすることと同じようなことである。

 

日本史の勉強法は、これも英文法同様、申し訳ないのだが、日本史の先生が悪ければ、ただの暗記になってしまう。他をあたってほしい。先生が良ければ理解の上での暗記になるのだが・・・しかし、暗記から逃げるものは受験から逃げるのと同じである。決して暗記は楽ではない。理解も大切だが、それと同じくらいかそれ以上に暗記も大切である。楽をしようとしてはいけない。地道に暗記するしかない。 

 

受験直前期

勉強ばかりしていた私は、体が鈍ってきたので、ランニングと自重での筋トレを始めた。ものすごく楽しかった。心よかった。この世で一番楽しいものは、運動であると思った。そして、当時は、元楽天田中将大投手が楽天の優勝を飾った年だった。レッドソックス上原浩治投手がクローザーとして優勝を飾った年だった。

 

スポーツこそこの世で一番感動を生むと思った。そのため私はスポーツに関心を持ち、スポーツ科学部を第一志望にした。(言い忘れていたが、志望大学は慶應大学の文学部だった。B判定が出ていた。しかし、小論文がどうしてもできなくて受験もしなかった。)

 

それはさておき、私はスポーツ科学部試験当日までに去年の過去問を残しすべて解いた。そして当日の朝5時に起きて最後の過去問をやり完璧だ。と思い試験に出発した。英語、国語、小論文の三科目。英語・・最後まで時間通り、自分の力を出し切れた。国語・・時間が足りないという試験ではなかった。

 

現代文もできたし、古文漢文は満点だった。苦手な小論文・・・その年の小論は資料の読み取りだった。押さえておくべき2点を完璧に抑えた。これで、落ちている、なんてことは、ありえない。と思った。私は合格を確信した。合格発表が待ち遠しかった。そして、合格発表当日、電話越しにおめでとうございます。という音声を聞いた。

 

まとめ

正直なところ、本キャンに行きたかった。しかし、模試レベル、センターレベルの問題ならある程度解けたが、私は頭が悪いので難しい問題が全然解けなかった。そのため、12月に入った段階で早稲田大学の赤本に取り組み始めたが、からっきしとけなかった。そこから、まったく勉強ができなくなった。なんとか踏ん張り、スポ科の赤本だけでも全部やろうと思ったが、直前期はそれしかできなかった。そのため、他は全て落ちた。私は弱い人間だと本当に思う。

 

センター試験も終わり、高校三年生も浪人生もここからが正念場であると思う。私のように逃げ腰で準備するのではなく、勝気で準備して戦って欲しい。スポーツ科学部は早稲田大学で最弱の学部であるが、いいところだ。就活では学歴で困ることはまずないと思うし、なにより、頭の良い本キャン生とも関わることができるので、なかなか面白い。普通のやつだと思っていても、トイック800点とか取るので、やっぱり早稲田なんだなぁとしみじみ思う。また、なかにはすごい人もいる。私がいたサークルでは、かっこよくて頭もめちゃくちゃキレる先輩が何人かいた。初対面なのに、ものすごく魅力的だった。自分のことを熱く語り、社会問題に対して熱く訴えかけ、その上、非常にユニークだった。こんな人たちに私もなりたいと今でも思っている。

 

受験勉強というものは、すればするほど、円形に広がっていくものだと思う。そして、その円形の中に収まるレベルの大学には、特別に対策をしなくても受かる。しかし、その円形をすこし縦方向に伸ばして、その大学のレベルがすっぽりとおさまる形にしなくては受からない大学もある。縦方向に伸ばすというのは、過去問でしっかりと対策をするということだ。正直、ひとつ格下くらいのレベルだと運が良くないと最低3年は過去問で対策しないと受からないと思う。この理論は武井壮の運動理論と同じだ。序盤に出てくる。ぜひみてほしい。

 

【武井壮の「大人の育て方」がマジ凄い!】オトナの学校 完全版 - YouTube

 

以上が、私の受験体験記になる。私も浪人時代、いろんな人の受験体験記を見て参考にした。私もいずれ書きたいと思っていたが、この場で無理やり実現させた。私は受験勉強は一種の通過儀礼みたいなものだと思う。決して諦めたりせず。大きな壁をぶっ壊して欲しい。また、私は電車のなかでがんばっている受験生を見ると胸が熱くなる。応援しています。頑張れ。↓早稲田関連の批判記事です。

 

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